『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』 福岡伸一著 木楽舎
タイトルの“動的平衡”という言葉に前からそそられていたのですが、本書を手にしたのはほんのこの間。
何故そそられていたかというのは、東洋医学的な“にほい”がするから。
ということで、ようやく手にして読み始める・・・。
最初は意外にも医学史からはじまり、正直ちょっとまだるっこしい感じも。しかし、著者の福岡伸一氏の本は以前読んだこともあるので、読み進めれば面白くなるだろうという期待をもって読み進める。
この手の本はこれまでも何冊か読んできたので、だいたい予想は付くが、やはり福岡節というのか、上品な文体の訴追力は、読む者の意識を容易には離さない。福岡氏は、イタリアに関するエッセイが多い須賀敦子さんの文章を意識しているというのを聞いたことがあるのですが、名文家である須賀敦子さんの“にほい”、確かに感じますよね。
ということで、本書の内容・・・。
ネタバレになるかもしれませんが、要約するとこんな感じです。
本書のいう“動的平衡”とは、言うなれば“in”と“out”の平衡性と言うこと。
例えば中学校の理科あたりで、「質量保存の法則」というものを学んだと思いますが、そんなイメージでしょうか。
入ったものは出ていくし、その総量は変わらない。生命の場合で言えば、食べたものはその一部が身体の血となり肉となり、そして使われなかった残りは排泄されるわけですが、このバランスがちゃんと平衡している。
さらに生命はその命を維持するために、常に(食べ物でも酸素でも)入っては使い、使っては補うの繰り返し。
つまり、生きていく(=動的)ために、“in”と“out”のバランスは平衡をとる。これが命の本質であると言うことが、本書のテーマなのであります。
そんなの当り前だよ、と思うかもしれません。
しかし、この当り前のことを意識として実感していないがために、私たちは時に悲しみ、時に悩み、時に喜んだりしているのではないか。そしてその生命の本質を無視して一喜一憂することで、もしかしたら生命の営みを否定したり、生命を嫌ったり、生きることに意欲を失ったりしているのかもしれません。
逆に言えば、そのあたりをうまくクリアできたら、下手なスピリチュアルも、高額な自己啓発も、胡散臭い宗教もいらなくなる。
東洋医学では、恬淡虚無(てんたんきょむ)といって、何事にも囚われないフラットな精神を推薦しているわけですが(そんなことは出来ないし、出来たとしたらそれはそれでつまらない人生かもしれませんが)、これは生命の持つ動的平衡を悟った状態なのかもしれません。
長い人生、もちろん私でも、時にすごく好調なときもあれば、これでもかこれでもかと言わんばかりに不幸なことがやってきたときもあります。ジェットコースターのような人生を忌まわしく思ったこともありますが、心のどこかで、人生はちゃんとイーブンに出来ているのだと感じていたからこそ、その苦しい時期を乗り越えてきたのかもしれません。また逆に、順風満帆に見えるようなときでも、もっともっと自分を成長させるために身の回りを点検しておく、ということも少しは出来たのかもしれません。
福岡伸一氏がここで語っているお話しは、東洋医学・東洋思想では当然のことかな?と思うところも多かったです。福岡伸一氏は、それを特別なことのようにお話ししていますが、我々東洋医学の門下生にとっては、自然に身につけていることのように思います。しかしだからといって無意味なものではなく、生命全体を通して、科学的な視野で敷衍してくれている本書は、とても有意義なものだと思います。
生命というものの本質とは何か?
分子生物学から見ると、生命ってどう見えているのか?
生きるってどんな意味があるのか?
そんな生命の営みの不思議を垣間見る入門書として、とても参考になるかと思います。
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